「おられる」は間違った敬語? 答え「いいえ」
MooLingは大阪人だからか、「おられました」「~しておられる」等の表現は、ごく普通に使っている。むしろ、最近よく見るようになった「~していて」「~していなくて」の方に、激しく違和感を覚える。それも言うなら「~しており」「~しておらず」だろうと。
だから、ネット上のあちらこちらで聞かれる、
「『おる』は謙譲語だから、『おられる』を尊敬語として使うのは間違っている」
との主張にこそ、MooLingは反発を覚える。
「『おります』は謙譲表現に使えるが、『おる』自体は『いる』の同義語であって、謙譲語には当たらない。よって、『おられる』は何の問題もない。『おられる』を×とするのは、関東方言の押し付けだ」
と、MooLingは理解し、かつ確信している。
証拠に、各種の辞書から「おる(居る)」の項を引用してみよう。
まずはオンライン辞書。いつもMooLingが参照している『大辞泉』から。
1 ① 人が存在する。そこにいる。「海外に何年―・られましたか」
② 「いる」の古風な、または尊大な言い方。また、「いる」に比べて方言的な響きを帯びる。「君はそこに―・ったのか」「都会にはセミも―・らんようになった」
2 (「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方。「五時までは会社に―・ります」
(中略)
5(補助動詞)動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて用いる。
① 「…ている」の古風な、または尊大な言い方。「そこに控えて―・れ」
② (「…ております」の形で)「…ている」の丁寧な言い方。「ただ今、外出して―・ります」
◆(1) 助動詞「れる」の付いた「おられる」「…ておられる」の形で尊敬表現に用いられる。
続いて『大辞林』。用例は省略。
〔1〕
[1] 人・動物が存在する。そこにある。また、そこにとどまっている。)
(ア) 自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある。
(イ) 「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。
(中略)
〔2〕(補助動詞)
[1] 動詞の連用形、またそれに助詞「て(で)」の付いたものに付いて、動作・状態が続いていることを表す。やや尊大な言い方として用いられることがあり、また、「ております」「おられる」の形で丁寧な言い方や尊敬の言い方としても用いられる。
[2] 動詞の連用形に付いて、自分の動作を卑下したり、他人の動作をさげすんだりする時に用いる。
続いて、愛用している『明鏡国語辞典』第1版から、抜き書き。
[表現] 言い切りの形などでは、古風かつ西日本方言的で、尊大な表現ともなるが、敬語を表す「おられる」「おります」の場合はそのような感じがなくなる。
『岩波国語辞典』第6版でも、謙譲語との記載はない。
「いる」に比べればやや文語的。「おります」は「います」よりもやや丁寧な感じを与える。「ます」を伴わずにいえば、尊大な感じがある。
――このように、「おる」は謙譲語どころか、使いどころによっては尊大のニュアンスを持ち得ることが分かる。そして、「おられる」が正しい敬語であることについては、各辞書とも共通している。
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